Le Journal de NICHE

ヨガと表情筋トレーニングインストラクターのブログです。

「下町ロケット」のモデル 植松努氏に見るやさしさのカギ

 

小さな自信を持つことができたらやさしくなれる

 

この目からうろこの考えは、「空想教室 好奇心を”天職”に変える」の著者、植松努氏の言葉によるもの。植松氏は北海道の町工場を営み、「下町ロケット」のモデルとしても知られています。

 

ぼくの工場には、よく子どもたちが遊びに来ます。

彼らもたいていロケットが好きです。

だから一緒にロケットを作ってもらいます。

ただ、作り方は教えません。

わからなければ、自分でしらべればいいからね。

まわりのやり方を見て、真似をすればいいからね。

自分がわかったことは、みんなに教えてあげてね。

そうすれば”わからないこと”なんて、あっという間になくなるから。

そう伝えると、みんなちゃんと自分たちの手でロケットを完成させます。

”自分のロケット”を完成させると、みんな我先にと飛ばしたがります。

でも、ためしにぼくがロケットを飛ばしてみせると、

「やっぱり飛ばしたくない」といいはじめます。

「あんなに飛ぶとは思わなかった」といいます。

発射ボタンを押せなくなってしまう子もいます。

”どうせ自分のやつはダメだ”って、ためらうのです。

でも、ロケットは飛ぶんです。

そうしたら変化が起こります。

みんな、やさしくなれるんです。

「作れない」と思っていたロケットを作れたから、

「飛ぶわけがない」と思っていたロケットを飛ばせたから、

小さな自信がわいたのです。

この小さな自信が、

これからの日本にどうしても必要なのです。  

            「空想教室 好奇心を”天職”に変える」(植松努)より

 

 自信はとっても大切なものです。

自信をなくしてしまった人の中には、自信がほしいから、自信をお金で買ってしまう人がいます。ある人は流行ばかり気にして、自分の身を飾るようになります。そしてお金をどんどんなくしていきます。自慢をするようになる人もいます。ヒトを見下すようになる人もいます。他の人ががんばったらこまるからと、ヒトの努力を邪魔するようになる人もいます。

これは、いじめの原因じゃないですか。こういう人たちが、皆さん音まわりにもいるかもしれません。いじめられる人もかわいそうですが、いじめをしていしまう人も、誰かに自信を取られてしまったかわいそうな人たちです。そのかわいそうな人たちが、自分の自信を守りたくて、しょうがなく他の人たちの自信を奪っているのです。

 この後、衝撃的な記述が続く

いつか、ぼくの工場にアフリカの人たちがきてくれました。

ぼくの話を聴いてくれた彼らが、帰り際に教えてくれました。今アフリカでは「勉強したって、努力したってどうせ無駄だ」という自分の可能性をあきらめてしまった人たちが、やがて人を殺すようになり、人の物を奪うようになっているのだそうです。

がんばれない、生み出せない。だから、奪うしかない。

暴力で奪うこともできます。暴力以外にも、ウソをついたり弱いふりをしたり、人をだましたりして、奪うこともできます。でもみんなが奪い合ったら、社会は簡単にほろびてしまいます。

みんなが奪い合う原因はなにか。

元をたどると「どうせ無理」という言葉に行き当たります。

ぼくは世界中から「どうせ無理」という言葉がなくなったら、いじめや暴力や戦争がなくなるかもしれないと思ったのです。

 暴力も自信と希望のなさから生まれるということだ。

 

やったことのないことをやってみると、当然失敗することもある。

失敗したら「なんでこうなったんだろう?」としっかり考えたうえで、「じゃあ、こうしてみたらいいんじゃないか!?」と反芻することが大事だという。そうすると失敗も1つのステップとなり未来が開けるというのだ。

 

失敗をするからこそ、やり遂げたときの達成感が自信につながるのだろう。

「自信」とは、文字通り「自分はやればできるんじゃないか」と自分で自分を信じる心。「希望」と言い換えても良いのではないだろうか。

 

 人が生きていくためには、どうしても自信が必要です。でも自身はお金では買えません。いばっても手に入りません。ひとりきりで守って守りきれるものでもありません。自信を身につけるには、「やったことがないことをやる」しかないのです。

だからこれから先、やるかどうかで迷ったときは「できるか、できないか」ではなく、「やりたいか、やりたくないか」で選んでください。

そうすればきっと、ぼくたちはもっと自信をつけて、もっとやさしくなれるはずです。

                                 

やさしさが足りていないと感じるときは、実は自信が足りていないのかもしれない。